ふんわりソフトな食感で人気のパンといえば「コッペパン」が代表的ですね。
甘い味わいはバターやマーガリン、ジャムと相性が良いですし、細長い形はハムやコロッケなど具材を挟んで食べるのにも向いています。
そんなコッペパンですが、名前の由来やどのようにして生まれたのか意外と知らないんじゃないでしょうか。
知らずに食べるのもシャクなので、何故コッペパンと呼ばれるようになったのか調べてみました。
記事の内容
- どうしてコッペパンという名前なのか?
- ホットドッグバンズと何が違う?
- コッペパン誕生の歴史を調査
調査の結果、由来は諸説あるようですが、今回は最も有力な説をベースにパンブロガー目線で深堀りしていきたいと思っています。
当記事を読めば、コッペパンの意外と知らないアレコレを理解することできますので、ぜひご覧下さい。
コッペパンの由来を解説【日本生まれのパンです】
コッペパンの「コッペ」はフランス語で「切られた」という意味の「coupé(クーペ)」が訛って出来た和製語です。
とはいえ、パン自体に切れ込みが入っていないので不自然に感じますよね。
東京製菓学校監修の「いちばんくわしいパン事典」という書籍には以下の様に記されていました。
コッペパンの「コッペ」とは、フランスのパンである「クッペ」に形が似ていることからきている。
出典:いちばんくわしいパン事典
フランスパンのバリエーションの中に、「クッペ」というバゲットの1/3ほどのサイズになった小型のパンがあります。このクッペがコッペパンの原型となっているという説ですね。
確かにサイズ感としては近いように思いますが、製法や味・食感は完全に別物という印象です。
「フランスのクッペ」と「日本のコッペパン」は何が違う?
まず使う材料が大きく異なります。
クッペの材料 | 小麦粉、パン酵母、塩、水 |
コッペパンの材料 | 小麦粉、パン酵母、塩、水、砂糖、油脂(バターなど)、スキムミルク |
フランスのクッペとは要するにバゲット。味は素朴でバリッとした固い外皮(クラスト)が特長的です。一方で日本のコッペパンはソフトで柔らかい食感になっており、味わいも甘くてバターの芳醇な香りがします。
見た目もそこまで似てるかと言われると「うーん…」って感じですし、そもそもコッペパンはアメリカから製法が伝わったと言われており、どう紐付いたのか謎ばかりです。
アメリカのホットドッグバンズが原型なのでは?
アメリカには、野球場や屋外イベント定番の惣菜パン「ホットドッグ」があります。
あのソーセージを挟む際に利用するパンは「コッペパン」に似ていますが、実際は「ホットドッグバンズ」という別のパンです。
とはいえ、パン作りに使う材料もほぼ同じ。違う点はといえば「ホットドッグバンズ」の方が15%ほど使う水の量が少ないので、少しサックリして歯切れの良い食感に仕上がるくらいでしょうか。
ホットドングバンズはソーセージが挟みやすいように細長い形になりましたが、コッペパンが似た形になったのかは不明です。
その他の説もご紹介
コッペパンの名前の由来は結局は諸説あるようで、定かではありません。
リサーチした結果で有力な説は以下の通り。
- フランスのパンである「クッペ」に形が似ている説
- 日本のシェフがフランスパンを「コツペー」と呼んでいたから説
- ドイツ語で「山頂、丘」という意味の「kuppe(コッペ)」説
正直、どの説も微妙な気がしますが、形だけ見てしまえば「クッペ」に似ている説が有力なのかもしれませんね。
コッペパン誕生の歴史
日本でコッペパンがどのように生まれたのか、少し歴史を振り返ってみましょう。
コッペパンの生みの親は「田辺玄平」という人物です。
田辺玄平はアメリカで学んだ製パン技術を日本で普及させた第一人者でして、今でこそ当たり前に手に入るパン酵母「ドライイースト」を日本で初めて完成された人物です。
ドライイーストとは、生イーストを乾燥させたもの。ご家庭のパン作りではよく使われる酵母ですね。
僕も9割はドライイーストを使ってパン作りをしてます。
生イーストは冷蔵保存が基本なのですが、1900年代初期の日本には冷蔵庫が普及しておらず、保存が難しかったそうです。だから日持ちするドライイーストが必要だったわけですね。
田辺玄平は己の私財を投じて1913年(大正2年)に東京の下谷黒門町に食パン製造工場(丸十ぱん店)を創設。ドライイースト製造の研究を重ねました。それから2年後(1915年)に初の国産ドライイースト「玄平種」が完成したと伝えられています。
ドライイーストは食パンの材料として主に使われていたわけですが、1919年(大正8年)に日本陸軍にパンを納入するために、食パン生地をなまこ型に成形して作ったものが「コッペパン」の原型となっています。
コッペパンが普及したのは「学校給食」に登場するようになったから
1947年に学校給食が始まるまでは、コッペパンは日本軍の配給食であり、一般市民が食べる機会はほとんど無かったそうです。
終戦後の日本は食糧難の時代であり、アメリカから食糧援助を受けていました。寄贈される物資には小麦粉やスキムミルクが含まれていたため、コッペパンを多く作られたようですね。
コッペパンが給食で長く親しまれ続けた理由
1952年にアメリカからの食糧援助が無くなりましたが、余った小麦を優先的に提供してもらうことが出来たため、コッペパンは長く日本の給食で親しまれるようになりました。
思い返せば1984年生まれの僕も、学校給食で月に1~2回はコッペパンを食べていた気がしています。この頃は食パンも多くなっていましたが、コッペパン+ピーナッツバターは個人的に最強でした。
段々と「米食中心」に変わりつつあった日本で「パン食」が定着し続けた背景には、以下の理由がありました。
- 主食として飽きがこなかった
- 設備投資する経費を節約できた
- 加熱調理しなくてよい
要するに「コスパが良い」ってことですね。
米を学校で提供する場合、大規模な炊飯設備が必要となってきます。当時どのくらいの値段だったか定かではありませんが、業務用炊飯器はバカ高いです。
参考までに「株式会社ISEKI」に掲載されている業務用炊飯器は5升炊きで「315万円」でした。学校だともう少しサイズが必要かなと思いますが、気軽に払える額ではないですよね。
上記の背景から設備投資のいらないパンが長く提供され続けていったというわけです。
しかしながら、近年は段々とパン食が減ってきているようです。すでにパンが給食に出ない地域が出始めているそうで危機感を感じております。
詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
-
学校給食にパンが出る回数が減っている!?食育だけが問題じゃないよ
続きを見る
まとめ
僕も勉強になりました。
おさらい
・コッペパンは「クッペ」に形が似ている説が有力
・アメリカの製パン技術がベースとなっている
・学校給食の普及により爆発的に浸透した
個人的には、コッペパンの生みの親である田辺玄平はアメリカで製パン技術を学んだ背景から「ホットドッグバンズ」を参考に「コッペパン」を作った可能性が高いと考えています。しかし、そうだとするとコッペという言葉がまったく紐付かないので、第3者が「クッペに見た目が似ているね!」と思い、いつしか呼ぶようになって定着したのかもしれません。
残念ながら、正確な由来は見つけることができませんでしたが、コッペパン誕生の歴史や背景を少しでも理解していただけたなら幸いです。
それでは、楽しいパンLIFEを!!